■副島隆彦華僑が日本をつくった
日本は2000年の間「属国」であった。副島隆彦氏の著書です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 天 皇 と 華 僑 聖 徳 太 子 は 蘇 我 入 鹿 (そがのいるか) で あ る 」 副島隆彦 著 (編集部によるイントロダクション) 日本は原住民である倭人(わじん)と交易を求めてやって来た華僑(中国人)が年月をかけて混血してゆくことによって出来た王国である。西暦776年に「近江令」(おうみりょう)の中に初めて出現した「日本」という言葉をもって日本建国の年と考えるべきである。従来の日本歴史学を統合する「属国・日本史論」の古代史編をここに始める。 (はじまり) 私は日本史についても調べて書きたいと思っていた。 私がこれまで考えてきた日本通史の概要のうち、ここに掲載する古代に関する部分は、一九九七年五月に五月書房(ごがつしょぼう)から刊行された『属国・日本論』のために書き下したものである。ところが、「著者を守る」という理由で、出版社側の判断により、この古代史の部分は、採用原稿から削除されため、発表の場を失っていた。今回、オルタブックス編集部の依頼により、単行本用に書いた原稿に若干の加筆をし、ここに初めて発表するものである。 1997年9月 副島隆彦 拙著、『属国・日本論』の第三部「属国日本の近代史」で私は、古代から中世、近現代に至るまでの日本の歴史を、日本はじつはずっと文明の周辺属国(トリビュータリー・ステイト)であったのだ、という観点から祖述しようとした。しかし出版社側の判断によって実際には近現代史の部分しか掲載されなかった。祖述(expound イクスパウンド)するとは、特定の先人の学説を受け継ぎ、それを土台にして更にその上に自説を展開して、同じ諸事実に対して別の角度から光を当てて自説として、そのことによって学問(サイエンス)(=科学)を推し進めることをいう。 私の日本史学についての知識は、きわめて限られている。私は日本史学者ではないので、専門的な歴史資料 ( 一次資料としての古文書や国家外交文書 ) の 古代漢文のまま読み込みや正確な文献読解 ( text critic テキスト・クリティーク )などはできない。そのような学問的な訓練は受けていないし、また、フィールド・ワークとしての歴史学を志したこと