■平田篤胤について

わが秋田の生まれです。
大聖人なのですが、なかなか食わず嫌いされています。
これからの時代、再び「新しき古に帰る」ことが脚光を浴びることになるでしょう。

まずは、平田篤胤について

国立民族博物館の「明治維新と平田篤胤」から「平田篤胤の学問とそれへの批判」から引用します。


平田篤胤
国学者1776~1843




・平田篤胤の学問に対する姿勢は徹底的なものである。ロシアの研究ではキリル文字を習い、地図を集め、露日辞書まで自分で編集してしまう。資料はよほど極秘のものでもどうやってか入手する。インド研究でも大蔵経を読破し、正確なインド地図を手に入れ、サンスクリットは直接学問僧から学びとっている。

篤胤の学問
・篤胤の西欧知識人理解を要約して表現すれば、「科学への探求と古伝説への信仰」ということになる。従って、篤胤とは宇宙論では地動説を研究し、古伝説では、旧約聖書宇宙創成神話と同一のものを日本・中国・インド・エジプト等で探究することとなる。
・地動説を根軸とした儒学・仏教への批判は、同時に中国古文献や大蔵経の徹底したカン解読による、
中国・インドの歴の最古層での宇宙創成神話の解明の試みとなっていった。


平田篤胤批判
・平田国学は、当時の学術潮流の中にきちんと位置づけてこそ、その客観的意義を明らかにすることができる。
・儒学からの国学批判は、沼田道意の『級長戸風(しなどのかぜ)』から始まって、明治維新に至るまで一貫して強いものがあり、また国学者内部でも、神代文字存在論には批判がなされた。
・更に仏教界も、平田国学の厳しい攻撃をうけ、日本に根ざした仏教とはなにか、仏教的護国論をどのようにつくるか等々、真剣な模索がおこなわれることとなる。


名作で誉れ高い「秋田県民歌」に歌われています。


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