■精神力・気力・胆力とは
KOZYさんからです
“精神力、気力、胆力”の三つの言葉を見て、やはり、日本語、または、東洋哲学の奥深さを感じさせられた・・・Kozyに説明させると次の様になるのである・・・・タイトルで“構図”と使ったが、つまり、この三つはお互いに相互に影響をし合っている・・・
以前“人生における光の三原色”をアップロードしたが、“精神力、気力、胆力”の三つは自己成長・自己実現の光の三原色といってよいと捉えたい・・・・潜在的に持っている自分の可能性探しの三つのDriverといってもよいだろう・・・・
KozyのBlogを何度も訪問されている人には重複する箇所が多いが、掘り下げて説明してみたい・・・
“精神力”とは・・・“健康なる精神は健康なる体に宿る”ともいわれている通り、体の健康度にも依存する力でもある。しかし、健康な体は十分条件の一つであるが、必要条件とは、結論から言うと、現状の中であるべき善を知的能力を発揮して見抜く力であると考えます・・・つまり、Kozyのいう第三の目の機能そのものでもある・・・・・
知的能力とは、陰陽の視点で常に捉えて、弁証法で中庸を求める思考法、そして、思考を深める為に、システマティックに理解して考える思考・・・この三位一体の知的活動の習慣化である・・・・
“気力”とは、・・・心のエネルギーであり、生得的に持っている“何でもやってみて学習していく”というエネルギーであり、心理学で呼ぶところの、“コンピテンス”と同じであり、この気力を支えるのが種々のホルモンであると考えます・・・・このホルモン活動は胆力にも依存します・・・・
“胆力”とは、・・・現実に直面したときに、現実世界が引き起こす“恐怖感”に対して、目を背けない=不動心だと考えます・・・・・・この胆力の維持が出来ないと、気力は弱まっていく・・・・これが人間の構造的な問題であり、生きるために乗り越えなくてはいけない課題だと考えます・・・・
しかし、この胆力は空元気では長続きしない・・・だから、多くの人は胆力の維持が出来ずに、それに伴い気力の維持が出来ない・・・特に、大人である人間の行動変容には、自分で論理的に納得する必要がある・・・・これを心理学では論理化と呼んでいます・・・・・
人間の人間たる所以は、考える力を持っているところにあります・・・また、この考えるとは、本当の意味で大事なのは、25歳ぐらいまでの未熟で限定された経験と机上の論理という知識により創生された自動脳(=この場合は潜在意識と呼んでも善いでしょう)に縛られるようになる・・・・・
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