■御柱祭・・なぜ柱を建てるのか

中央構造線の体験学習に行くことになりました。ちょうど御柱祭りの時期なのですね。


神が降りる時:2010御柱祭/上 起源 /長野

 ◇縄文の祖霊崇拝説も

奥山から切り出したモミの大木を、人力のみで里まで曳(ひ)き、急坂に落とし、川を渡し、最後に諏訪大社の四つあるお宮の四隅に建てる。一言で言えば、それが御柱祭だ。7年目ごとの寅(とら)と申(さる)の年に行われ、素朴とも原始的とも言えるこの祭りに、諏訪地方の人々は熱中する。そのルーツは何だろうか。
文献上、御柱祭についての最も古い記録は室町時代の諏訪神社(大社の旧称)の縁起書「諏訪大明神画詞(えことば)」にある「寅申ノ干支(えと)ニ当社造営アリ。一国の貢税永代ノ荷役、桓武(かんむ)の御宇ニ始レリ……」とされる。その続きには「御柱」の言葉も出てくる。
それにしても、なぜ柱を立てるのか。御柱祭の木遣(や)りは「奥山の大木、里に下りて神となる」と歌うが、ご神木になるのか。そもそも「オンバシラ」の起源は何か。
柱を立てる祭りや信仰は、実は諏訪に限らず、島根の出雲大社をはじめ、ネパールや欧州など国内外に例がある。ネパールのインドラ祭では柱の見立て、伐採、曳行(えいこう)、柱立てと、御柱祭と似た過程をたどるという。いずれも、柱を立てて聖域とし、神と交流する手段にするのだろうか。
諏訪の御柱祭の起源はさまざまな説があるが、諏訪市文化財専門審議会委員の宮坂光昭さん(78)は「縄文時代とのつながり」を唱えている。諏訪神社の神長官を務めた守矢氏は、もともと「ミシャグジ」という諏訪の土着信仰の司祭者として大祝に仕えた。宮坂さんによると、その信仰は、ヘビを象徴とする縄文の信仰にたどり着くという。
諏訪地方は「縄文の里」と称されるほど縄文時代の遺跡・遺物が多く、方形に並ぶ柱穴列の発掘例もある。国内の縄文遺跡には、それが建物跡とはみられないものもあり、宮坂さんは「祖霊崇拝(すうはい)の柱立て祭があったのではないか」と推測する。
御柱祭関係の資料を展示している諏訪市博物館の亀割均館長は、「必ずしも縄文起源とは考えていない」と言う。だが、雅さとは程遠いエネルギッシュな御柱祭の姿から「諏訪の呪術(じゅじゅつ)的な土着信仰が、自然界のエネルギーを神社に取り込んでいった部分が、祭りの基層にあるかもしれない」とみる。
いずれにせよ、諏訪のような独特な柱立ての祭りが今も続いている例は、関連の神社を除けば国内で他にない。原初的なその祭りの熱気は、多くの人を引き付ける。【武田博仁】

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