■現代語訳:「七生の舞」(5)

現代語訳訳平田篤胤:仙境異聞のうち「七生の舞」


篤胤が質問した

  どのように並んで、舞う様子はどうか

寅吉答えて

  浮鉦を打つことが止んだら、五十人の舞人が手を臍に当て、立ったままで、柱に拝礼をして、全員振り向いて斜めに立ち、笛吹の楽人が全員で「アーー」と吹出る音と共に、東頭の第一に立った人が、まず高い音の甲音で「アーー」と発声する。その時に柱の東西に立った二人の舞人が、左の手足を出す、これが舞の始まりです。これを見て、周りに立った四十八人が一斉に左の手足を出します。

 

(すべて手は、いつも踏み出した左右の足に従って出すこと。以下これにならってください。柱の東西に立つ二人は、中でも達者な者をあてます。手の舞、足の踏みはみんな同じようにして、柱のあたりを小さく回ります。四十八人の中に、もし舞踏が間違う人があるときは、二人の舞踏を見て改める模範役となる大切な役なのです。)

 

 笛が「イーー」と吹くときに、第二に立った人は、笛の声とともに「イーー」と低い方の乙音で発声する。その時一斉に右の足を出す。

 

(すべて、甲乙の音が互いにすることは最初から最後までの決まりです。笛に声を合わせることも、以下これに倣うのです。さて五十人で五十音一声づつ唱えるのですが、心の中では五十音をみんなが唱えながら周らなければ、舞踏を間違うもととなります。)

 

第三に立った人、「ウーー」と唱える時に、一斉に右の足を引き、

第四に立った人、「エーー」と唱える時に、一斉にまた右の足を出し、

第五に立った人、「オーー」と唱える時に、一斉に左の足を出す、

第六に立った人、「カーー」と唱える時に、左の足を引き、

第七に立った人、「キーー」と唱える時に、また左足を出し、

第八に立った人、「クーー」と唱える時に、また左足を引き、

第九に立った人、「ケーー」と唱える時に、また左足を出し、

 

第十に立った人、「コーー」と唱える時に、一斉に右足を出す。

                   (右を一足進める)

 

第十一に立った人、「サーー」と唱える時に、右足を引き、

第十二に立った人、「シーー」と唱える時に、また右足を出し、

第十三に立った人、「スーー」と唱える時に、また右足を引き、

第十四に立った人、「セーー」と唱える時に、また右足を出し、

第十五に立った人、「ソーー」と唱える時に、一斉に左足を出す。

                   (左を一足進める)

 

第十六に立った人、「ターー」と唱える時、左足を引き、

第十七に立った人、「チーー」と唱える時に、また左足を出し、

第十八に立った人、「ツーー」と唱える時に、また左足を引き、

第十九に立った人、「テーー」と唱える時、また左足を出し、

第二十に立った人、「トーー」と唱える時に、一斉に右足を出す。

                   (右を一足進める)

 

第二十一に立った人、「ナーー」と唱える時に、右足を引き、

第二十二に立った人、「ニーー」と唱える時に、また右足を出し、

第二十三に立った人、「ヌーー」と唱える時に、また右足を引き、

第二十四に立った人、「ネーー」と唱える時に、また右の足を出し、

第二十五に立った人、「ノーー」と唱える時に、一斉に左足を出す。

                    (左を一足進める)

 

第二十六に立った人、「ハーー」と唱える時、左足を引き、

第二十七に立った人、「ヒーー」と唱える時に、また左足を出し、

第二十八に立った人、「フーー」と唱える時に、また左足を引き、

第二十九に立った人、「ヘーー」と唱える時、また左足を出し、

第三十に立った人、「ホーー」と唱える時に、一斉に右足を出す。

                    (右を一足進める)

 

第三十一に立った人、「マーー」と唱える時、右足を引き、

第三十二に立った人、「ミーー」と唱える時に、また右足を出し、

第三十三に立った人、「ムーー」と唱える時に、また右足を引き、

第三十四に立った人、「メーー」と唱える時、また右足を出し、

第三十五に立った人、「モーー」と唱える時に、一斉に左足を出す。

                    (左を一足進める)

 

第三十六に立った人、「ヤーー」と唱える時、左足を引き、

第三十七に立った人、「イーー」と唱える時に、また左足を出し、

 

 

第三十八に立った人、「ユーー」と唱える時に、また左足を引き、

第三十九に立った人、「エーー」と唱える時、また左足を出し、

第四十に立った人、「ヨーー」と唱える時に、一斉に右足を出す。

                    (右を一足進める)

 

第四十一に立った人、「ラーー」と唱える時、左足を引き、

第四十二に立った人、「リーー」と唱える時に、また右足を出し、

第四十三に立った人、「ルーー」と唱える時に、また右足を引き、

第四十四に立った人、「レーー」と唱える時、また右足を出し、

第四十五に立った人、「ローー」と唱える時に、一斉に左足を出す。

                     (左を一足進める)

 

第四十六に立った人、「ワーー」と唱える時、左足を引き、

第四十七に立った人、「ヰーー」と唱える時に、また左足を出し、

第四十八に立った人、「ウーー」と唱える時に、また左足を引き、

第四十九に、柱の西に立った舞人「エーー」と唱える時に、また左足を出し、

第五十に、柱の東に立った舞人、「ヲーー」と唱える時、一斉に右足を出す。

                         (右を一足進める)

 

すべてが十二足進んだために、

 

東先頭第一に立った人は、南の先頭に行きつく、

南先頭に立った人は、西先頭に行きつき、

西先頭に立った人は、来た先頭に行きつき、

北先頭に立った人は、東先頭に行くつく。

これを一行とする。

 

一行終わった時に、楽器をみんな止めて、柱のそばの舞人が一行の数札を寄せるのです。一週毎にこのようにします。

  ここに全員が前のように、柱に向かって立ち、両手を臍の所に当てて拝礼をすれば、浮鉦の楽人が浮鉦をうち出す。

 

 この打つことが終わったなら、笛を一斉に「アーー」吹き出る。その声とともに、

東頭第一にいる人「アーー」と唱え、柱の東西に立っている二人の舞人の左の足を出すのを見て、周りに立っている四十八人が一斉に振り向き、左の手足を出す。次々に唱えること、また手の舞、足の踏みだしかたは、先に記したことと異なることはありません。

  すべて五十度このようにして回って、五十人の人々、五十音をことごとく唱えるのです。十度目ごとに柱のそばの両人、白紙を柱の頭にある穴に入れます。何の意味かはわかりません。

  さて、五十度目には、始め東頭に立っている人は、南頭に行きつくのです。この時

 

に全員が始めのように、柱に向かって立ち、太陽の印として、両手の指を合わせ、楽器に合わせて五十人、一斉に「アーー」と唱え、次に「イーー」と唱える時に座る。五〇音の交互に立ったり座ったりします。立つときは合わせた手を上に向け、座るときは下に向けます。そして五十音を五十回唱えるのです。

 

  一回ごとに浮鉦を鳴らし、木札の数取りを寄せて、十回目に白紙を柱の穴に入れることも、前と同じです。五十回終わったならば、楽器をみんな止める中で、浮鉦だけは、みんなが退去するまで鳴らすのです。退去するときは、始め東頭に立った人は先頭に立ち、それより後ろを正して退出します。柱のそばの二人の舞人は、最後になって退場する。それより楽人は、また後ろを正して退場します。なお、細かなことはその場に臨まなければ思い出しがたいものですから、概略のみを申し上げます。

 

 

篤胤が質問した

  この舞楽は気晴らしのために行うものかと思ったが、その有り様は、大変に厳かにして、敬いのこころが大きいと聞こえるが、それは何のために行うのか

寅吉が答えて

  この舞楽は、天の神地の神がたいへんに喜びたまう舞楽でありまして、これを行う時には、天の神地の神とつながる感応があります。それと違って、妖魔の仲間は大変に忌み嫌う舞楽なのです。そのために天の神地の神をなぐさめて、神々とつながる感

応を得ようとするときに行います。また山人たちが住む山々の、妖気を払い清める時などにも行います。

  音楽の道理を極めたものですから、妖魔も邪心を捨て、善心になると聞いています。山で行うときは、音楽の響きが樹霊にこだまして心にひびきます。鳥獣もこの音楽が好きで、音楽を聞くために集まってきます。特に海辺で行うときは、広い海面に響き渡り、音色が特におもしろく、魚たちが群がり寄り集まってきます。その中でも鰯のような小魚は、丸くかたまり青く光ったり、白く光ったりして寄ってくるのです。

 

 

篤胤が質問した

  山でこの舞楽を行うことは聞いてあったが、海辺でも行うということは知らなかったが、何のために海辺でも行うのか

寅吉が答えて

  海辺では何のために行うのかは分かりません。しかし海神に向かっての舞楽ということを考えれば、そこの海の漁があるようにと願ってのことでしょう。

 

 

篤胤が質問した

  海の中でこの舞楽を行うときには、柱は立てないのか。樹による一丈の長笛は用いないのか。また山人たちは、水面に立って行うのかどうか。

寅吉答えて

 

  人々は水面にも立ち、あるいは空中にも立っても行います。柱は海の中にも空中にも立てます。また長笛も、どのようにしてなのか空中にも吊るします。また錨を下ろした帆柱にも吊します。

  船人の傍で行うのですが、船中の人には遠くで行っているように聞こえるのです。すべて人間の思うこととは大きく相違するのです。

 

 

篤胤が質問した

  この舞楽をお前に習って真似したら、山人たちは怒って祟ることはないだろうか

寅吉答えて

  私の師匠の山人は温和でありまして、人間のためとなり、用に立つものであれば、話すことを信じて聞かれる人には、見聞きして覚えたとおりに伝えなさいと、下山を命じられたときに言われております。だから怒られることはありません。

 妖魔が嫌う舞楽ですから、願わくば人間としても行いたいものですが、容易に訓練することが叶いません。特に楽器の演奏方法は私にはよく分かりませんので仕方のないことですが。

 

 

篤胤が質問した

  舞人が五十人、楽人二十四人、すべてで七十四人の人々は師匠の分身であるのか、

 

又は他の山の山人たちに呼びかけて寄せ集めるのか。また全員の装束楽器などはどのようにして集めるのか

寅吉答えて

  舞人楽人ともに師匠の分身ではありません。言いふれるのか、どのようにしているのかは分かりませんが、他の山々より、各々それぞれに、装束楽器を持ってより集まってくるのです。

                   






(つづく)



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