■現代語訳:霊の真柱(第七図)

平田国学の宇宙生成論!!
         第 七 図
(イザナギ・イザナミその3)

  古の伝えに曰く。ここにイザナギノミコトが申されました。いとしい我が妹のミコトを、子の一人と取り替えるとは。云々・・・
 十拳の剣(とくさのつるぎ)を抜き放つと、その子カグツチノカミ頸(くび)を切り落としてしまわれた。すると、そのお刀の先のしたたりついた血は、天の安之河原の多くの岩群(いわむら)となり、これはフツヌシノカミの御祖(みおや)なり。云々・・・。                       
 この時の血が、岩群草木に飛び走りつたため、草木、砂石(いさご)もまた自ずから火を含むのです。云々・・・。 
 ここに殺されたカグツチノカミのお体の、その一部からお生まれになった神の名は、イカヅチノカミ。次の一部からお生まれになった神の名は、オオヤマツミノカミ。次の一部からお生まれになった神の名はタカオカミノカミ。

 第七図
 
















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●ホムスビノカミ(カグツチノカミ)を切られたお刀の、刃の血が天上に飛び走って、まずは多くの岩群(いわむら)となって、その鍔や剣先の血や手先に集まる血も、ことごとくその岩群に飛び走って、多くの神々がお生まれになりました。
 火はこのように成り出でた初めより、上に昇る勢いのあるものであって、今もそうであることは、深い謂われのあることです。天ッ日を目のあたりに見ると、火が盛りに燃えて見えるのは、この始めの謂われによって、火が寄りいている
ためで、この国土からは燃える火に見えるからです。

  そうであれば、天はその萌え上がる初めより、清み明るい質である上に、火の寄り憑いたために、ますます明るいのです。この後、日の神がお治めになって、その大御光(おおみひかり)が照り通って、いよいよ益々明るくなっております。                          
(外国人などは、このような謂われの元を知らず、ただにこの国土より見るままに、日は火の凝り集まる物だと言い、或いは火の精だなどとのみ言うのは、神代の古伝が伝わっていないからです)

  さてその通り、地球から見ては、火に見えますから、神の御代より比(ひ)と言われるのです。  
(それは、ヌナガワヒメノカミの歌に「青山に比がかくらば、ぬばたまの夜は出なむ」と詠まれた比は天日を指して言うのです。またこの歌によっても、スメマノミコトの天降りなされる前に、天地がすでに切り離れて夜昼があることは明らかです。それは天地がすでに切り離れて巡られていなければ、歌に青山に日がかくらばと詠むことはあり得ません。『三大考』の説は道理に合いません)         
 そうであるならば燃える火と、言葉の意味も異なることはありません。漢字が渡ってきた後に、天つ比には日の字を当て、燃える比には火の字を当てたことから、言葉の意味が異なるように思われるのは、それは元の謂われを深く考えないからです。
(さて比とは、不思議で霊妙なることのかぎりを言う言葉ですが、世間で火ほどに霊妙で不思議な物がありませんので、その名を借りて、広く言いならわしたものです)

   さてここに、草木、砂石(いさご)もまた自ずから火を含むとあるのは、その一端を言い伝えたものであって、実はものとして火を含まない物はなく、水底に生まれた物にさえ火は含まれてあります。 
(それは、クシヤタマノカミが海の底のコンブ、マコモを喜んで食べて火を吹き出したことで以て分かって下さい)

  火之神の御体にお生まれになった三柱の神の中に、イカヅチノカミがまず先にお生まれになったことを、イザナギノカミが大変にお怒りになっての仕業である上に、御祖神(ミオヤノカミ)ですら荒ぶる御子とお話しされるほどの猛く烈しいホムスビノカミ(カグツチノカミ)を殺されました。そのお怒りが有るでしょうから、始めにこの神がお生まれになったことが、そうなることだったのです。

   またタカオカミノカミ、これも大変に荒々しい神で、その高(タカ)と申すのは、色々な御神があります中に、この神は初発にお生まれになって、そのすべてを知っているがために、高(タカ)と称するのです。

(さて大変に怒って死んだ人の霊が、雷や蛇になることもあるのは、この謂われによるのです。それは上毛野君田道(カミツケヌノキミ)の霊の大蛇となって蝦夷(エミシ)どもを殺し、藤原広嗣の霊の雷となって元肪法師の首を抜いたなどという例を見てお知りください。まだ多くありますが今はその古いものを挙げたものです)

  さて、オオヤマツミノカミお生まれになったことについて考えてみます。火之神のお体が、これもまた天上に上りついて山となった。オオヤマツミノカミは、それによってお生まれになったと思われます
その山は天の香具山です。カグツチノカミの御体がなった山ですから、カグヤマと言うのです。
(師の翁も、いささかは心疲れしたと見えますが、古伝の混入を正されなかったために唯に疑いのみ残されたのは、惜しいことです)

   岩屋戸(いわやど)のくだりで、その山から献上の品を取ったのも、その謂われがあることです。
(なお、この山のことについては、言い得難い不思議な謂われがありますが、それは『古史伝』で述べます)

   このようにして、イカヅチノカミ、タカオカミノカミともに山に住む神ですが、この謂われによるものです。また山の始めは、火之神のお体からなった謂われによって、諸々の高い山の頂上から火が燃え立つのです。

(『三大考』に、「富士山、浅間山、霧島山など、天地の帯の切り離れた後の臍ではないでしょうか。また今でも火が出るのも、初めに昇りゆくときの氣の名残がまだ残って昇るのであろう。」と言ったのはさもありげに聞こえますけれど、大変に道理と違った説です。それは、天が萌え上がったのは、かの「一つの物」の成り初めた時のことで、その時は未だ山があるはずもなく、山は二柱の神が国生みなされた後に、生まれ出た物でこそあれ、服部中庸の説では本末が違っ
て、二柱の神が国生みなされたと言うのも、すべて空言です)

   さて、ここで少し、天神地祗(アマツカミ・クニツカミ) のこの国土を幸わい賜う御功徳をお話ししたいと思います。それは、二柱のウブスナ大神は早くから御虚空(みそら)においでになりまして、かの「一つの物」を造りなされて、それがやがて天と地とに分かれ、その地が尚フアフアとあった頃、ウヒジニノカミより次々、イザナミノカミまでを生み出されました。そのイザナギ・イザナミノカミに御矛を賜いて、国土を固め成されました。さて、この二柱の神は、大詔を畏み賜って、その勤め励む事々において、国土を固め成さんとのふるまいがなかったことはないのです。

 (それはオノゴロ島に、彼の御矛を突き立て、国中の御柱となされたのを始め、御処(みと)のマグワイを初め給えるのも、国生みなさんとのことであることは、その時のお言葉で知れます。また国生みなされて後に、風のカミをお生みなされたのも、国土の狭霧を払おうと思われてのことです。またイザナミノミコトが火之神をお生みなされたのも、これは国土になくてはならないものですから、お生みなされたものです。またその火之神の荒ぶるのを鎮めるべく、土の神、水の神をお生みなされたのも、国土を大切に思われてのことです。それはあちらこちらで述べているとおりです。 なお更に申しますと、イザナギノミコトが女神の後を追って、黄泉の国に行かれたときのお言葉に、「我とお前で造った国は、いまだ造り終えてはいない。さあ帰ろう。」と申されました。また、イザナミノミコトが男神を黄泉つ平坂まで追いついて、その死に別れの時のお言葉に、「我とお前が生んだ国は、もっと更にうまく生めるのに。」と申されたことです。
 その始め終わりの所業が、悉く国生みを専らと勤め励んでのことが明らかです。それはミオヤと申すムスビノカミのお言葉を畏み重しと思われる故であります。あな尊しあなかしこ)

    故にそのお生まれになった御子神達は、その謂われによってこの神がお生みになり、この謂われによってその神がお生みになりましたと。そのお生まれになった謂われは異なりますが、みな二柱の神が国土を賞し思われる大御心から、生み出たものですから、その神々が今の現実に、国土に幸せを給えるご功績の跡を、よくよく観察すれば、この謂われに少しも違うことがないのです。

  それは、近い例では、稲の種を土に植える時、天ッ日が照らして米を実らすことは、かの火之神がハニヤマビメノカミにお合いになり、ワクムスビノカミがお生まれになったと全く同じ道理であって、火之神、土の神、水の神の御霊によるのです。

  さて、火が土に照り入ることが激しければ、悪い虫も多く生まれ出て、稲も枯れようとします。その激しく照り入る火の気に蒸されて、山に含まれる水が、天の狭霧となって立ち昇り、雨となって降るのは、山の神、土の神、水の神のお恵みによるものです。
 (ただし、これをほどよくお分けになるのがミクマリノカミ、クヒギモチノカミのなされる仕業です)

   このように、火の気と水の気とがお互いに争うその端の方で、イカヅチノカミが恐ろしく鳴り出でて、龍神様が氷雨さえ降らせます。
 (万葉集に、「我が崗の龍神にいいて、ふらせつる、雪の砕けし、そこにちりけん」)
 人すらおびえたまげるばかりに畏めば、ましてや虫は深く穴に隠れ死ぬこともあります。

   さて、天が一面に曇り雨が過ぎれば風が吹き出してきて吹き払い、風が過ぎれば雨が降ってきて風を和めます。それぞれの神々のお働きで、お互いに相助け合い、相制御して国土をお恵みたまうのです。その元の道理をおし究めれば、天ッ神がこの国土をつくり固めなさいと申されたお言葉を、二柱の神が重く受け止めた大御心(おおみこころ)でお生みなされた神々がおられるからなのです。

 (それを外国人どもは物の道理を究めようとはしますが、さすがに神国の人でなければ、その元の謂われは知ることが出来ません。火が土を蒸すことで雨が降り、火と水が争うその端で雷が鳴る、などを究めようと、その現象を器具で造ったりして、自然に出来た物とのみ思って、この神々が分担して行っているご功績を知らないでいます。それは例えば、人が暗いところから石つぶてを投げていますのに、こちらにいる人はそうとは知らず、石つぶてが自分から飛んで来たのだと思うようなもので、たいへんに情けないものです。 祈っては雨が降り、祈っては晴れるのも、神の御心によることであることをよくよく思って、おそれおおくも古の学びをする人は、ゆめゆめ外国の説に惑わないで下さい。かのうるさい中国(唐)人でさえ、心ある人は、光るカミナリや風が烈しい時などは、大変に畏れ慎んだとあるのです。(論語・孔子))

  さて、上に言う神々の、そのお生まれになった元の謂われは、多くは火之神のゆかりであることからさらに思えば、そもそも火は、萬の物を損ない亡くして、たいへんに世の災難を為す恐ろしいものですが、又ありとあらゆる萬の物に幸いをもたらします。この現象は止む事がないことです、ここの古伝をよく味わって下さい。
(なお、『古史伝』で詳しく述べます)






jundoのヤタの図






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