■現代語訳:「七生の舞」(4)

 現代語訳平田篤胤:仙境異聞のうち「七生の舞」

篤胤が質問した
  ある船人の話だが、ある時海中に錨を降ろしていたときのこと、一町ほど南の方にも、錨を降ろした船があった。夜更けになって、その船から琴や笛、鉦や太鼓などで合奏した、不思議で優雅な音楽が聞こえてきた。船中にしては珍しいことだと思いながら、あちらの船に音楽をする人たちが乗り合って、音楽を演奏したのだと思って、翌朝帆を上げるとき、その船の船員に言葉をかけた。「昨夜の音楽はたいへん面白かった、その道の達人たちが乗ったのですか」と尋ねたところ、その船の人たちも怪しんで、「我々の船にも音楽が面白く、そちらの船の方から聞こえたので、今質問しようと思っていたところだが、そちらから先に質問されたのです」と言いました。

  よく見れば、そちらの船には、通常の船員だけで、音楽などやりそうな人は一人もいない。お互いにあやしく不思議な思いで別れたが、その後にも又このようなことに出合ったことがある、と語るのでした。

 またある人が、山の中でもそのような音楽を聞くことがあったとも言いました。
このような音楽を世の中では「天狗囃子」と言うが、天狗の姿だけでなく、神仙の姿でもあるのだろうか、常に疑問に思うことだが、このような舞楽の様子は見たことがないか
寅吉答えて
  それは「七しょうの舞」とも、「お柱の舞」とも言う楽奏を聞いたのです。その舞は時々見たことがあります。


篤胤が質問した
  「七しょうの舞」とは、どんな字を書くのか、また楽器は何々か、また唱歌はどのようなのか
寅吉答えて
  七しょうとは、一二三 の七(シチ)の字と、生の字に、何か偏の有る字とだと覚
えています。楽器は短笛が五管、一丈の笛、九尺の笛が各々一管、りむの琴が一挺、かりようの笛が五管、浮鉦が二つ、この六品です。唱歌は五十音を、声を長く引いて
唱えるのです。
(篤胤は、七しょうと言うしょうの字は、なかなか詳しくはわからないが、寅吉の言葉のなかから、ようやく「七生の舞」とわかりました。)


篤胤が質問した
寅吉答えて
  短笛は、五管とも同じ品であって、女竹の節間の長いのを選んで、歌口とも九穴に、図のように作り、図のように持って、五十音の唱歌に合わせて、図に表したように吹くのです。

篤胤が質問した
  一丈の長笛の作り方は、また吹き方はどうか
寅吉答えて
  これも女竹の、本末同じ太さで、節間の長いのを選んで節を抜き、歌口は一つで、小穴は全部で五十六穴あります。図のようにできあがったら、中に生の蝋を流し、図のような玉緒をつけて、高い樹に図のように吊っておき、五人が図のように立って、中の一人が五管の短笛を吹くため、八穴を開閉して五十音を吹くのを、左右に二人づつ立っている人が、左右の四十八穴を、両手の指でもって開閉するのです。 ただし、これは、図に著すことが難しいので、口伝の方法を学んだので口伝で申し上げるのです。


篤胤が質問した
  九尺の長笛の作り方、また吹きかたはどうか
寅吉答えて
  これも竹は右に同じく節を抜き、こちらは歌口が二つあって、小穴は全部で四十八あります。図のように作ったら、生蝋を流します。これも五人がかりで、円座に座って吹くのです。二人は息を入れる係で、穴を開閉することはない。中と左右に座った三人で、両手の指でもって開閉するのです。ただし、これも図には著しがたいので、その方法を学んで口伝で申し上げるのです。


篤胤が質問した
  リンの琴の様子、またその演奏のしかたはどうか
寅吉答えて
  これをまた、キンの琴とも言います。でも「リンの琴」というのが実の名なのです。字はどのように書くのかは知りません。その様子は図のようにして、木を空に彫りぬいて、底に板を打ち付け、表面に二カ所八の字の形に穴を開けます。真鍮の針金の一本に、一二三の順のように、次第に太いのを引き通して、八絃にかけ、絃の通る穴ごとに、鉄の飾り縁を入れる。また絃の下にあたる処ごとに、図のような小穴がありま
す。底板の下には図のようにしめ木をさす。左手には鎖でもって作ったメリヤスのように編んだカタビラをかけ、右手には鉄で図のように作った爪を、指三本にかけて、二人で相向かい、左の手でもってふだん琴を弾くようにして、笛に合わせて演奏します。時には八の字形の穴を、左の手で塞ぐことがあります。しかしながら、私はその弾き方はよくわかりません。
 さて琴柱ですが、図のように女竹で作ります。上手の者は、足の低い方から弾きあげ、下手の者は、足の高い方から弾き下げます。その演奏の音はおびただしいものです。針金の絃であるため、鎖のカタビラを掛けなければ手を痛めることになります。


篤胤が質問した
  カリョウの笛の様子、また鳴らしかたはどうか。字はどう書くのか
寅吉答えて
  この笛は吹き鳴らすものではありません。様子は図のようですが、左手に筒をもち、四つの穴を、四つの指で開閉しつつ、右の手に柄を持って突き鳴らすので、突き笛とも言います。中に笛十二本をおき、筒先穴の内と、柄の先とに獣の皮をつけています。
何のためかというのはわかりません。さて、これは五人が並び座って、外の楽器とともに合奏するので、突くときは穴を塞ぎ、引くときには穴を開けるように見受けられました。それによって音韻によく叶って聞こえました。しかしながら、一管だけでは
音韻に叶うとも思われないのです。カリョウという字は、どのように書くのかはわかりません。
  (篤胤の解説です。この笛の字もつまびらかではないが、寅吉の言葉に、クワとカと聞き分けがたいことが多いので、屋代の翁と相談して、しばらく「迦陵」の字を書

いております。さて、出羽の山形の殿様、須賀氏は、このような匠の技が得意な人ですから、虎吉が言うとおりを伝えて、一管つくらせました。)


篤胤が質問した
  浮鉦の様子、また鳴らしかたはどうか
寅吉答えて
  浮鉦は、木をくりぬいて、火桶のようにつくります。内側に三つの耳があり、これは蓋がかかるところです。蓋のとがっているところは金です。音をよくするためだそうです。中に水を入れて蓋をし、図のような打ち棒で打つのです。ただしこれは、笛や琴と合奏するものではありません。舞の場に出るとき入るとき、または一周一周の間に打つものです。


篤胤が質問した
  この舞楽を行う時の装束は、どのようなものを着るのか。皆んな同じものか、それぞれ異なるものか
寅吉答えて
 舞人、楽人みんな同じ装束ですが、なんというものかはわかりません。上の服は緑色で、雲の模様が見えました。図のような後ろを引きづるものです。その下には白いものを着て、その下はいつもの「ガアバフトコロ」の着物を着て、あられ地の白い袴を着ています。鳥の甲に似て、異なる図のような冠をかぶり、ワラジをはいています。舞人、楽人ともに同じ服装です。


篤胤が質問した
  ワラジの様子、また作り方はどうか
寅吉答えて
  ワラジは藤やヨシでもって、ムシロのように編み、図のように作って、引っかかるようにしたものです。


篤胤が質問した
  以上の楽器たちを合わせて舞う舞台はどうなっているのか。またその作法はどうなのか。舞人は何人なのか
寅吉答えて
  舞人は五十音に合わせて五十人です。
まず、海岸でも、山ででも 、広い所にヒノキかスギを太さ一尺ばかりに削って 、頭に穴を開けた柱の、目の高さの四面に東西南北の字を記入し、頭から一尺ばかり下に麻の紐をつけて、数枚の木札を通して、中央に突き立てる、これを御柱と言います。


 この柱の周りを、舞人がゆるやかに立ち並んで、その中に楽人が並ぶように、相撲の土俵のように丸を書いて、辰巳、未申、戌亥,丑寅の四隅にも印をつけ、楽人の座るところには、菅の座布団を敷く。楽人、舞人すべてで七十四人、その場から東の方に集まって支度を整える。まず楽人二十四人、姿勢を正してその場に進み、各々柱に向かって一礼し、各々その座につき、容貌を正して気を静めてから、浮鉦の楽人二人が合図の浮鉦を打ち出す時に、五十人の舞人が同時に立ち、姿勢を正してその場に進む。最初に立った二人は丸の中に入り、東西に就く。次の四十八人の舞人は、東を首とし、南を尾とし、四隅の所を境として、一方に十二人づつ立ち並び、五十人の舞人ともに、手を臍の所に当て、全員が柱に向かって一礼し、浮鉦を打つことで終わって、その後は舞が始まります。
  

     


(つづく)




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