■現代語訳:「古道大意」(4)
現代語訳「古道大意」・・・古事記・日本書記のなりたち!!
上 巻 2-1
さて私の講説(こうせつ)はこの通り明らかに知ることができる事実を本として、古の道、神の御上を申し上げれば、天武天皇、元明天皇、この二代の厚いお心もおぼしめしもこもっている。だからどなたさまもそのお心得でお聞き下さい。こちらは身分の卑しい者ですが、その申すことは、神の御真実、畏くも古の天皇(すめらみこと)が深く厚いおぼしめしで、自らの御口から誦みうかべ、お伝えあそばれたものですから、実になおざりにならないことなのです。
「『古事記』と『日本書紀』の成り立ち」
さて、世間には神の道を学ぶと言う人がいくらかあって、それらはもとより大方の世間の人も『日本書紀』のみ尊び、その第一、第二を「神代の巻」と言って、この二巻を別の版にし、俗の神道者などはうるさいほどに注釈をして、世の始めや神の御事実を知るには、これをおいて他に書物は無いように思っていますけれども、それは心得違いです。詳しい訳は、師が『古事記伝』の始めにつぶさに記しておかれました。
そのあらましを申しますと、まず『日本書紀』とは、和銅五年正月に『古事記』を御書き取られてから八年後、第四十四代元正天皇の養老四年五月、勅命によって一品舎人の親王(みこ)が記述されて奏上されたものです。その以前に著された『古事記』があるその上に、重ねてこれを著された訳はどうなのかというと、『古事記』は先に申した通り上代(かみよ)の趣を素直に、ありのままに伝えようと、天武天皇が厚くおぼしめしたこと、太安万侶(おおのやすまろ)もその大きな御心を心として、書き記したものですから、ただありのままであり、中国(唐)の国史というものの体裁とは似ても似つきませんでした。
その頃は公にも中国(唐)の学問が盛んであり、お好みなされましたから、『古事記』の余りにもただありのままに、飾ることも無く、評論することもなく、浅々と聞こえることを不満に思われ、更に広く物事を考え、年表もつくり、また中国風の言葉などを飾りつけもして、漢字の文章を作り、中国(唐)の国史に似た国史としようとして、お書きなれたものです。大体このような御趣旨で書かれたものであるため、まるっきり中国(唐)風であり、はなはだ古の事実を失っていることが多いのです。そもそも心と事実と言葉とは、みな一体となっているべきものですが、それ故に上代(かみよ)には上代の心と事実と言葉のありようがあり、後世には後世の心と事実と言葉があります。
また中国(唐)には中国(唐)の心と事実言葉があるのです。ところがあの『日本書紀』には後世の心でもって上代のことを書き記し、中国(唐)の言葉をもって我が国の心を書き記されたため一体となっておらず、ここで古の真実を取り失ってしまったことが多いのです。
その頃は公にも中国(唐)の学問が盛んであり、お好みなされましたから、『古事記』の余りにもただありのままに、飾ることも無く、評論することもなく、浅々と聞こえることを不満に思われ、更に広く物事を考え、年表もつくり、また中国風の言葉などを飾りつけもして、漢字の文章を作り、中国(唐)の国史に似た国史としようとして、お書きなれたものです。大体このような御趣旨で書かれたものであるため、まるっきり中国(唐)風であり、はなはだ古の事実を失っていることが多いのです。そもそも心と事実と言葉とは、みな一体となっているべきものですが、それ故に上代(かみよ)には上代の心と事実と言葉のありようがあり、後世には後世の心と事実と言葉があります。
また中国(唐)には中国(唐)の心と事実言葉があるのです。ところがあの『日本書紀』には後世の心でもって上代のことを書き記し、中国(唐)の言葉をもって我が国の心を書き記されたため一体となっておらず、ここで古の真実を取り失ってしまったことが多いのです。
又『古事記』はいささかも私意を加えず、古からの言い伝えをそのままに記されたものですから、その心も出来事も言葉も、皆上代の真実に適っています。これは一途に古の言葉を主として記されたためです。すべて心も出来事も、言葉をもって伝えるものですから、書物はその記した言葉が主となる大切なものです。従って『日本書紀』は飾った漢文で書かれているために、古の真実を見失い、かつ後世に惑いを生じさせたることを一つ二つ申し上げます。
まずその「神代の巻」の始めに、「古天地未剖 陰陽不分 混沌如鶏子」と言っているところから「然後神聖生其中焉」とあるところまでは、中国の書『淮南子(えなんじ)』というもの、また『三五暦記』などというもの、その他の書の文章をもかれこれ取り合わせて、飾りに加え入れた撰者の意向で、日本の古の伝説ではないのです。この続きの文「故曰開闢初 洲壌浮漂 譬猶遊魚之浮水上也」云々とあるのは、これが真の上代の伝説で、故に曰わくとあるがため、それより上は、撰者が新たに加えられた文章であることが知られます。もしそうでないのなら、その「故に曰わく」と書かれてあることが何の意味とも分からないのです。
そもそも撰者はそのようなことまでは、お気づきはなされず、ただ文の中国(唐)風になることを好まれて、飾ることのみにこだわられたようですが、この文書どもは後世に至って、さまざまな邪説を招く媒介となり、真実の道の顕(あらわ)れがたくなった根本となったのです。なおこの他に、くどく用いた図りごとを飾り文として加え、事実と紛らわしくなったことが少なくないのです。
或いは神の御名などまでも、中国の異形の物の名に書き換えたり、中にもはなはだしいのは、神武天皇の御巻に「弟猾大設牛酒 以労饗皇師焉」と書き、崇神(すじん)天皇の御巻に「盍命神亀 以極致災之所由也」と書かれた撰者の御心は、ただ漢文の飾りばかりではあるけれども、後の人はこれを真実と思い、牛酒とあるからには牛肉を食し、神亀とあれば占いに亀を用いたことだと思ってしまいますから、学問の害となることです。
牛を食べ、占いに亀を用いるなどは、中国で行われることです。また景行天皇の時代「ヤマトタケルノミコトが東国を征伐にご出立遊ばすところへ、天皇が鉄の斧をヤマトタケルノミコトに授けて言った」云々と書かれたが、およそ古にはこのような時には「矛」(ほこ)か「剣(つるぎ)」などこそ賜ったことこそありますが、「鉄の斧」を賜ったことなどあり得ません。そのためにこれも『古事記』には、「ヒイラギの八尋の矛(やひろのほこ)を賜る」とあり、これこそが真実のことです。それを強いて中国(唐)風にしようとして「鉄の斧」と書かれたもので言葉を飾ったぐらいならまだ許される方もありましょうが、このように物までも替えて書かれたのでは余りのことです。猶このような事例がおびただしくあるのです。
牛を食べ、占いに亀を用いるなどは、中国で行われることです。また景行天皇の時代「ヤマトタケルノミコトが東国を征伐にご出立遊ばすところへ、天皇が鉄の斧をヤマトタケルノミコトに授けて言った」云々と書かれたが、およそ古にはこのような時には「矛」(ほこ)か「剣(つるぎ)」などこそ賜ったことこそありますが、「鉄の斧」を賜ったことなどあり得ません。そのためにこれも『古事記』には、「ヒイラギの八尋の矛(やひろのほこ)を賜る」とあり、これこそが真実のことです。それを強いて中国(唐)風にしようとして「鉄の斧」と書かれたもので言葉を飾ったぐらいならまだ許される方もありましょうが、このように物までも替えて書かれたのでは余りのことです。猶このような事例がおびただしくあるのです。
ところが、昔より世の中の人はおしなべて、ただこの『日本書紀』のみ尊び用いられます。代々の学者もこれには大変に心を砕かれ、「神代の巻」にはうるさいほどに注釈が多くあるのは、『古事記』をおろそかにして、心を用いるべきものとは思わず、捨て置いたのはどうしたことだと言えば、世の中の人はただに中国(唐)思想にのみこだわって、わが国の古意を忘れ果てたためです。
そのはなはだしいのに至っては、『古事記』を『日本紀』の下書きのように思っている人さえあります。これらは一向に事の本質を知らないためであり、言うに値しないものです。ここに我が鈴の屋の翁は、その中国(唐)思想の良くないことを悟り、上代の正しい事実を、曇りのないマスミの鏡で見るようによく見極め、古の本質を見るべきものは『古事記』であることを世に伝え、『古事記伝』という類まれな四十四巻を書き著しました。「『古事記』の尊さを知るには、まず『日本書紀』の飾が多いことを知らなければ、中国思想に迷う病が去りがたく、この病が去らなければ『古事記』の良いところが表れない。『古事記』の良いところが知らないのでは、古の学の正しい道は知ることはできない」と、いうことを見いだされて、『日本書紀』を『古事記』の後に立てられたものです。「かりそめにも我が国の学問に志す者は、ゆめゆめこのことを思い誤らないようにして下さい」と、親切に言い置かれたのです。
そのはなはだしいのに至っては、『古事記』を『日本紀』の下書きのように思っている人さえあります。これらは一向に事の本質を知らないためであり、言うに値しないものです。ここに我が鈴の屋の翁は、その中国(唐)思想の良くないことを悟り、上代の正しい事実を、曇りのないマスミの鏡で見るようによく見極め、古の本質を見るべきものは『古事記』であることを世に伝え、『古事記伝』という類まれな四十四巻を書き著しました。「『古事記』の尊さを知るには、まず『日本書紀』の飾が多いことを知らなければ、中国思想に迷う病が去りがたく、この病が去らなければ『古事記』の良いところが表れない。『古事記』の良いところが知らないのでは、古の学の正しい道は知ることはできない」と、いうことを見いだされて、『日本書紀』を『古事記』の後に立てられたものです。「かりそめにも我が国の学問に志す者は、ゆめゆめこのことを思い誤らないようにして下さい」と、親切に言い置かれたのです。
「神国のいわれ」
さて世間の人が、誰も彼もこの国をさして「神国」と言い、また我々は「神の末裔」だ、などと言うが、実にこれは世間の人が申すとおり、間違いのないことです。我が国は「天ツ神(あまつかみ)」の特別なお恵みによって、神がお生みなされ、万国の外国とは天地の違いであり、引き比べることはできない、大変にありがたい国です。だから「神国」に相違なく、又われわれ卑しい男女に至るまでも、神の末裔に違いないのです。ではあるが惜しいことには、その「神国」、また「神の末裔」なるいわれの元を知らないでいる人が多いのです。それは全くにもムチャクチャな話で、せっかく「神国」に生まれ、「神の末裔」だと言っても仕方の無いことです。
それよりも更に「神国」とも「神の末裔」とも知らず、そんな志もなく、いわゆる空々寂々としている人は、それはそれで仕方がありませんけれども、かりそめにも神のありがたい謂われを聞こうとして、このように受講なされるというのは、既に志があるというものです。いやしくも人と生まれて、真の道を知りたいという志があるならば、ここで一つ誠の所を調べおきたいものです。
それよりも更に「神国」とも「神の末裔」とも知らず、そんな志もなく、いわゆる空々寂々としている人は、それはそれで仕方がありませんけれども、かりそめにも神のありがたい謂われを聞こうとして、このように受講なされるというのは、既に志があるというものです。いやしくも人と生まれて、真の道を知りたいという志があるならば、ここで一つ誠の所を調べおきたいものです。
既に中国(唐)の人ですら、『礼記(らいき)』に「真の道を行く人というものは、その先祖の美を選び定め、その事を明らかにして、後の世に表れるようにするものだ。然るにその先祖に、善事の有ることを知らずにいるということは、不明と申して道理に暗いというものだ。またその先祖に善事があることを知っていながら、それをよく明らかにし、世に伝えようと思わないのは、それを不仁という。いわば先祖に不実不幸というものだ。これが誠の道をも辿ろうと思う人の恥ずべき事だ」と、申しております。何と中国(唐)の人すらこうですのに、このありがたい「神国」に生まれて、「神の末裔」とある日本人がその元の謂われを知らずにいては、何と口惜しいことではないでしょうか。
実に我が国の人に限って、中国、インド、ロシア、オランダ、シャム、カンボジア等の国に至るまで、すべてこの天地にありとあらゆる万国の人とは、まるで訳が違い、尊く優れていることです。それは、まず我が国を「神国」と言い初めたのは、もともと我が国の人が自分達を誉める為に言い出したことではないのです。まずその起源を言えば、万国を開闢(かいびゃく)なされたのが、皆神代の尊い神々であって、その神たちのすべてが我が国でお生まれなされましたから、即ち我が国は神の御本国であるのだから、「神国」と称するのは、実に宇宙あげての公論であるのです。
更には論がないことですが、その古伝が伝わらず知らないはずの国々までも、自然と御威光が輝いて「神国」であることを知っていることは、もと今の韓国が三韓と言って、新羅,高麗、百済と言った時代に、我が国が世にも不思議なありがたい国であることを、韓国に聞き伝わりました。我が国はその韓国からは東に当たるために、韓国の人が東の方に、日本という「神国」が有ると言って、大いに恐れ敬ったもので、その言葉がついつい世に広まって、今では世間一般に、知る人も知らない人も「神国、神国」と言うようになったものです。これは中国(唐)の人ながらも、よく言い当てたことで、その「神国」に違いないという訳は、神代の事を学ぶとよく分かることが出来ます。
更には論がないことですが、その古伝が伝わらず知らないはずの国々までも、自然と御威光が輝いて「神国」であることを知っていることは、もと今の韓国が三韓と言って、新羅,高麗、百済と言った時代に、我が国が世にも不思議なありがたい国であることを、韓国に聞き伝わりました。我が国はその韓国からは東に当たるために、韓国の人が東の方に、日本という「神国」が有ると言って、大いに恐れ敬ったもので、その言葉がついつい世に広まって、今では世間一般に、知る人も知らない人も「神国、神国」と言うようになったものです。これは中国(唐)の人ながらも、よく言い当てたことで、その「神国」に違いないという訳は、神代の事を学ぶとよく分かることが出来ます。
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