■現代語訳:霊の真柱(第六図)

平田国学の宇宙生成論!!
第 六 図
(イザナギ・イザナミその2)

  古の伝えに曰く、ここにイザナギノミコトはイザナミノミコトにお尋ねになった。
「そなたの体はいかにできているのか」と。すると答えて、
「私の体は、成り成りして、成り合わないところがひとところあります」とイザナミノコトは言った。それを聞いたイザナギノミコトは、
「我が身は成り成りして、成り余っているところがひとところある。そこで、我が身の成余っているころを、そなたの成り合わないところに刺しふさいで、国を生み成そうと思う。生むこといかに」と問うた。するとイザナミノミコトは、
「それはとてもよいことです」とお答えになった。云々・・・。
 さて、結び合われてお生みになった子が、まずアワヂノホノサワケの島を。次にオオヤトトヨアキヅの島をお生みになった。 云々・・・。
 そうして、この八つの島を始めにお生みになったことによって、ここをオオヤシマの国と言うのです。
                                     (ある伝えに、伊伎(いき)の島・津島は無く、越の島・大島は有って曰く、壱岐の島、対馬、及び 所々の小島は皆これ潮沫(しおなわ)が凝り固まったものである。)云々・・・。
 ここに二柱の神、既に国生みを終えて後に、云々・・・。
 イザナギノカミが仰せられた、我が生んだ国には霧があり、よい香りが満ちている。その吹き払いの氣を生ずる神の名はシナツヒコノカミ、次に風の神はシナトベノカミである。

       第六図





















●この図は、二柱の神、国を生成し給い、又外国も成って、国土と海と分けたるうえの有様なり。
●外国の有り所、また大小の数などこの図に拘るべからず、ただ仮に大方の状態を表せるのみなり、ただし我が国の有り所は図の如し。
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●『三大考』は、イザナギ・イザナミの二神が、この大八洲国(おおやしまのくに)をお生みになられたことを述べています。世間の人は漢の国(中国)的考えで見るためにこれを信じません。様々な小賢しい説があるけれど、それはみんな私説であり取るに足らないものばかりです。ただ古の伝えのままに心得るべきです。
ただ人が子供を生むように、お腹から生むものです。ただし、その詳しい状況はどのようであったかは、伝えがないので知りがたいのです。ただ、今これを考えれば、まず天より降りる時に、「天の浮橋」で出立されて、また矛でもって、あの漂える物を掻き回され、引き上げる時、その矛の先より滴り落ちる物が、固まってオノゴロ島となりました。その矛の滴りはほんのわずかなものですが、その物によって、漂える物が集まり、凝り固まって広く大きくなって、一つの島となったのです。だから、大八洲をお生みになったのもそのようであって、まずイザナギ・イザナミの二神の交合の滴りが、女神のお腹の内に凝り固まって、お腹より産み出されたときは、ほんの小さな物ですけれども、その物にあの漂える物が寄り集まって、固まって国となりました。                                      
 身近な例えでは、人の体の出来はじめでも知ることができます。父母の交合の時に滴るものはほんの微少ですが、月を経て子供の形となるではありませんか。              
(また、人も鳥獣魚虫なども、生まれ出た時はなお小さいですけれども、だんだんと大きくなります。その中にも特にヘビなどは、生まれた時は、ふつうの小さな虫です。しかし年を経ると大蛇となるに至っては、特別に大きな形ではありませんか。また、草木も同じことであって、芽が出た二葉の時は、たいへんに小さいけれど、年を経れば、雲をもしのぐ大木となることも思って下さい)

   篤胤が申します。服部中庸のこの説は真にそのようでありますが、国土がだんだんと大きくなる道理を更に申し上げます。 今ためしに、小さい山を築き立てようとすれば、天ッ日の蒸しで、自然に草木が生え出でて、その枯れた枝や落ち葉などが積もって土となります。また蒸し生んでこのようにしながら年を経て、その小山がだんだん大きくなっていきます。国土がだんだん大きくなるのも、真実はこのような道理なのです。
(なお詳細に考えたこともありますが、ここではその概要のみ申します)

  神代のころの年代は、非常に長い時
間を経過していますから、この国土を産み出した時より、国土の全てが成り終わるまでは、幾万年かを経ております。その間にはいかほどにも大きくなるはずです。ことに国土の初めなどは、ムスビノカミの産霊(ムスビ)によって成ったことですから、女神の御腹から児を産むように、生まれたことは、さらに疑うべきではないのです。

   さて、国を産み成して、国土と海水とに分かれて、だんだんと大地は固まったのです。
(篤胤が申します。二柱の神が国土を産まれたということは、生半可な漢(中国)風の輩は言うにも及ばず、生半可な倭心の輩も不審に思うことですが、師の翁の伝記に、明らかな論がある上に、更に中庸の説はよく理解できて大変に優れております。これにつけて思うに、はるか西の果てなる国々の古い伝えに、世の初め、天ッ神が既に天地を造り終わった後に、土のかたまりを二つ丸めて、これを男女の神となし、その男神の名をアダムと言い、女神の名をエバと言う。この二人の神にて、国土を成せりという説があるのは、全く我が国の古伝の訛りと思われるのです)

  また曰わく。諸外国の初めは、二柱の神が大八洲を生みなされて、国土と海水とをだんだんに分かれるにしたがって、ここかしこと潮沫(しあわ) が、自ずから凝り固まり合い、大きくも小さくも成ったものです。
 (篤胤が申します。真実に
中庸の論のように、萬の諸外国は、我が国に比べては、きわめて劣って卑しいことは、ある伝えに、「壱岐の島、津島及び所々の小島は、皆これ潮沫(しおあわ) の凝り成れるものなり」とあるのをよく考えて下さい。それについては、我が国は万国の東頭に位置するのですから、ここより西にあたる国々は、三韓を初め、みなこれ潮沫の凝り成れるものだという伝えであることは、壱岐の島、津島及びとある、「及び」の字をもってご理解いただきたいです)

  これはまた、ムスビノカミの産霊(ムスビ)によって成れることは同じですけれども、外国は二柱の神のお生みなされた国ではありません。これは我が国とは、初めから尊卑、美悪の差別の分かれるところです。

  (篤胤が申します。はるか西の国の人(ケンペル)の、万国の風土を詳しく記した書の中に、我が国のことも記して、「諸国土の肥え潤って楽しい土地は、北緯三十度より四十度の間に及ぶところはなく、日本はその間に位置しています。そのうえ、万国の極東方の境にあるのは、天ツ神のいかなる御心にか、この国を殊の外恵まし、周囲には峻険なる荒海をめぐらし、外国からの侵略を防ぎ、またその地形をここかしこに断り放して、多くの島を合わせたようにしているのは、その土地々々の産物を異ならせて、国中に通用させて、日本が一つの国で外国の産物を望まず、我が国に産出する物で満ち足らそうとするのです。

  さて、大きからず小さからずと造られたのは、国を実らせ、強くさせようというためです。従って人民が多く住宅が建ち並び、産物が豊かであって、殊に稲穀は万国に卓越して立派であります。人の心意気が勇烈強盛であることは、これまた万国に並ぶ国はないのです。すべてこれは天地を造られた神が、日本に特別なお恵みを給わった徴(しるし)です」と、詳しく長々と記してあるのです。

  この西洋人の、神の御心として、我が国をことさらに恵ますというのは、漢土人(もろこしびと)のことづての、「天意天命」と同じことと思って下さい。それは西洋の国の人のならわしに、天と地の間にある事物は測量術でもって、考えの及ばないところは推し量って、その及ばない先のところは欠いてこれを論じません。すべて神の御心なることをわきまえて、まことに古を好み、厚く古伝を尊ぶ国風ですから、漢土のこざかしい説とは異なるのです。

  そもそも遙かに西の国人ですら、このような我が国の尊い謂われをわきまえていますのに、こちらの学問する者が、そのような尊いものとの謂われを尋ねないのを、篤胤はため息をついて嘆いております。

  外国人がこのような謂われをわきまえていることは、身勝手に親しみ奉って、ムスビの神のお陰を蒙ろうとすること
であって、そのようなこととも知らないのかもしれません)
   さて後に、外国はみなスクナヒコノカミが天降りして、お造りなされたものです。
(篤胤が申します。スクナヒコノカミのみならず、オオクニヌシノカミも渡りましてお造りになったものです。これらの事は、第九図、第十図の下に詳しく述べてあります。それを見てそのような所以を知って下さい)

 ●また曰わく。我が国の在り所は、図のように大地の頂上にあります。その訳は、初め葦の芽のようなものの、萌え上がり始めた根の所であって、それが未だ切り離れず続いているとき、正しく天と上下に相向かえる所が我が国であるからです。

 ●ある人が質問しました。
「我が国は万国の元の国であって、天と地との切り離れた臍の所であるということは、そうであるようにも思いますが、ここに疑わしいことがあります。それはまず、元の国としては国土が小さいです。末の国とある西の国々よりは事の開けることも遅いのはどうしてですか。元の国であるならばそうではあるべきではないでしょう」

篤胤が答えます。
「我が国をそのように大きからずにお造りなされたのは、西の国人の考えのような謂われがあって、神がこのような「分量」になされたのは、特別に国のみでなく、物の尊卑美悪は形の大小にはよらない。それは師の翁が言われたように、「数丈の大岩も方寸の玉には及ばない。また牛馬は大きいけれども人には及ばない。国もいかに広く大きくても悪国は悪く、狭小なりといえども美国は美なり」です。 
          
  最近万国の地図を見ましたが、南極の下の方に、大変に大きな国があります。この大地のあらゆる国の三分の一ばかりの大きさで、そこには人も住まず、草木さえ生えないのです。大小でもって国の美し悪しを言うならば、これこそ美国というのでしょう。

 また西の国々よりは、事の開けるのが遅いというのは、我が国の人が大らかであって、何事にも賢そうにふるまうことをしないのをこのように言うのですけれども、これはまた思慮の足らないものの言い方です。それは、我が国は万国の親国、元国であって、近くの草木の実に例えれば、その臍のところであって、いわゆる地氣が厚いために、何事も大らかで賢そうにふるまうことをしないのです。

  あの瓜の実、桃の実も、それがだんだんに大きくなるのは、臍のところから頭の方へと成っていきますが、その熟すことは、成り終えた先の方から熟して、臍のところは後で熟するものです。臍のところは成り初める元であるために、その勢いの盛りに厚いからです。すべて天地の間のことは、日の東に見え初める時は、そうも熱くないが、西に見えゆくままに熱くなるように、東に起こって、西から変化するものです。これはよく天地の間の道理を探求すれば後に明らかになります。

  また鳥獣などは、生まれて直ちに自ら物を食い、二月も三月も経つか経たないかに交尾などをするのは、これは卑しいものであるからです。それに比べて人は、その為すことが甚だ遅いのですが、それがやがて鳥獣よりは尊いところであります。また鳥獣が人に比べて、非常に命が短いのも、このように早く事を為してしまう為でもあります。諸外国の早く悪賢くなるのも、我が国が長い長い間神代のままに大らかであったのも、これによってお知りください。漢の書籍に『大器晩成』と言うのは、誠にそのとおりの言葉です。

  さて、諸外国は、早くより賢しそうに、色々な物事を考え出しますのに、我が国は、今もなお大らかで必要以上に賢そうにはしないのを、彼の外国の人々は、うめきながら考え出した事物を、余るほどに献上し、それが我が国の要となったことが多かったのです。それを思うには、君たる人は高枕して、手をこまねいているのに、民たる者は、向股に泥をかき寄せ、肘に水の沫をかき垂れて取り作った物を、献上するのに似ているのは、これも奇妙で不思議な神々の大御心(おおみこころ)と、このように尊卑の区別を定められていることが原因なのです。それは第十図のところと合わせ考えてください。

  そうであるのを、外国の学びをする輩の、このような謂われも知らず、その外国より産来した事物が我が国の要となるのを見て、弱々しい肩を張り出し、こだまする鼻高やかに、誇っているのは片腹痛いのです。それは儒者のみならず、近頃始まった蘭学という学問の輩、特にこれらは大変にうるさいのです」

  そもそも地球は虚空にかかって、丸い形であるものですから、どちらの方も上とも下とも、横とも言うべきでないのです。こちらから下とする方は、そちらからはこちらを下とします。横の方であっても、どちらも同じことであると心得るのは、ひととおりのことであります。それは天と地とが離れて、今のようになったことのみ知って、元の状態を知らないものであります。
(なお大地は上下もあり、前後もあること、第十図のもとに詳しく論じてあるとおりです)

 ●さて国を生み終えられて、その初々しさは朝霧が立ちこめていることで感じられます。その訳は風の神が吹きなしたからなのです。
           
  







jundoのヤタの図





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