■現代語訳:霊の真柱(第二図)

平田国学の宇宙生成論!!
 第 二 図
(大虚空から「一つの物」誕生)

「古の伝えに曰く、ここに、大虚空(おおぞら)の中に「一つの
物」が成り出ました。その形状言い難く、浮かぶ雲をつなぐ根がないようであって、クラゲのように漂える時に・云々・・。 」
                                          

























●図の中の ∴ は第一図に挙げた三柱の神なり
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●この生まれ出た「一つの物」は、天地泉(てんちよみ)の三つに分かれた物です。
(それは右の図を参照して下さい。)

 さて、『三大考』が伝えるように、この「一の物」が虚空に生まれ初めた時、それが分かれて天地泉となり、第十図のようになって完成したものです。またこの次々の神さまがお生れになったのも、すべてがあの二柱のムスビノオオカミの産霊(むすび)の力によってお生まれになったのです。 その産霊(むすび)は、なんとも尊く、奇妙で、不思議なものであって、決して世の常の道理でもって測り知れる限りではないのです。 
(それを、漢(中国)人などは、この天地の始めを、あの太極、陰陽などという小理でもって、賢げに説明するのは、皆この産霊(むすび)の神霊によって生じることを知らないための妄説です。)

  ある人が我が師に質問しました。
  「世にあらゆる萬の事は、その本はみな産霊神(むすびのかみ)の神霊(みたま)が生み出したと言うなら、その産霊神は、また何神の御霊によって生まれたのですか」
師が答えました。 
「この神たちは、いずれの御霊によって生まれたかというのは、伝えがないので知ることができない。これのみでなく、神代のこと、また常の世の中の事のなかにも、その道理もその事も、計り知れないことがたくさんあるのです。しかしながら、その知りがたいことを、強いて知ろうと思い、また物知り顔に、とかく推量で言うのは、みな異国の道の定めです。

 異国の道は、もとより佛、聖人などは、各々萬(よろず)の物、萬の事の道理を、ことごとく知ったものとして立てた道ですから、何事にも知りがたいと言っては、その道が立ちがたいものです。

 神の道はさらにそうで、神と言えども、知り得ないことはあるもので、イザナギの大神ですら、天ッ神の御心を問われたのですから。ましてや凡人は、もっぱら古の伝えを守って、いささかも小賢しいことを交えない道ですから、伝えが無いことは、ただ「知りがたし」としてあるのです。もとより道の姿であると言われるものは実にそうなのです。またその天ッ神すら御心を定めかねることは、フトマニをして占うのです」
                    
 (なおこの神々、おいでになりますとは言い伝えられましたが、天地をすらつくり出した神でありますから、その初めは如何なる神の御霊(みたま)によってお生まれになったのかではなく、限りなく前よりおわしますのだと思われるのには訳があります。それは次の図の下に述べてありますので、合わせて考えて下さい

  何を以て、この神が天地をお造りになったことを知ることが出来るかといえば、日之神・月の神の御託言によって知れるのです。それは顕宗天皇の年代、三年二月、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)任那(みなま)に使わされたとき、月の神が人にのり移って申されました。 「我が祖タカミムスビノカミは天地をお造りになった御功績があり、民地を差し上げるべし。我は月の神なり、もし請われるままに献上したならば、幸福を与えようぞ」とお言葉を賜りました。事代(ことしろ)このことで京に帰り、つぶさに奏上しました。            
 歌の荒樔田(あらすだ=山背国葛野郡にあり)を給って、壱岐の縣主(いきのあがたぬしのかみ)の先祖押見宿禰(おしみすくね)に申しつけ、斎(いつき)祠(まつ)らしめたものと見えます。                               
 また四月に、日の神が人に乗り移って、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)に申されました、「磐余(いわれ)の田を我が祖タカミムスビノカミに献上せよ」と。 
 (日の神が、この御宅言にムスビノカミの天地を造り給える、御功績のことを申されなかったのは、月の神の申された言葉に
譲って省かれたことであります。)          
 事代(ことしろ)はこのように申されたので、神の乞われるままに、田四十町を献上されて、対馬の下縣(しもあがた)氏に申しつけ、斎(いつき)祠(まつ)らしめた、とあるのをもって知っていただきたいのです。

 (師が云われました。このときの因縁と見えて、山城国葛野郡に、葛野坐月読神社、名神大月次新嘗、木嶋坐天照御霊神社、名神大月次相嘗新嘗、大和国十市郡に、目原坐高御魂神社二坐、並大月次新嘗、磐余は十市郡なり。対馬の下縣の郡に高御魂神社、名神大、天麻氏留神社などが『延喜式』に見えます。 なお、このことは後の世まで、その所々で重く祭司(まつり)をするのをもって、彼の神が人に乗り移ってのお言葉のいいかげんでないこと、ムスビノカミの御功績の大きなことを思いめぐらしてください)

 ●篤胤の案に、目原坐高御魂神社二坐とある一坐は、カミムスビノカミであります。これについてなお思うことは、月の神が申された言葉に、タカミムスビノカミとのみ述べられたのは、もとタカミムスビ・カミムスビノカミと述べられたのを、その一柱を省いて伝えたことです。
  (『日本書紀』にはこのような類のことは時々見えるのです。)
  また、この二柱の神の御名の意味は、神代の事実の上で著明なのです。

(なお、土(中国)、インドその他の国々にも、中途半端ながらも、その伝えの片端はありまして、その中に思い当たることが時々あります。それは『鬼神新論』に記してある事柄から察して知っていただきます。ただしその外国の伝えが訛ってしまうのはどうしてかと言えば、これはわが国は万国の祖国であるために伝えが正しく、外国はすべて末国の枝国であるため、正しい説が伝わらないためです)
                              
  これはたとえば都にあることを、遠い田舎で言い伝えれば、それは元の都の説とは違って、確かではないのと同じことです。またわが国の古伝を訛りながらに言い伝えて、その国々のことのように言うのは、これも都であった事を、遠い田舎で聞き伝えて、本を失い、その土地であった事のように、語り伝えると同じことです。

  ある人が質問しました。 
「その始めて出来た物の質はどんなものでしょうか」、答えて、  
「それは伝えがないために知りがたい。しかしながら、これは天地泉の三つに分かれた物であるから、それが混成した質であることは知られております」


                 


jundo









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