■現代語訳:霊の真柱(第三図)

平田国学の宇宙生成論!!
  第 三 図
(アシカガビコ・アメノソコタチ)

 「古の伝えに曰わく、大虚空(おぞら)の
中に「一つの物」が出来て、云々・・・。漂えるその時に、泥の中から葦の芽のごとくに萌えあがってきたものがあって、その成り出た神の御名は宇麻志葦芽比遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)です。次には天之底立神(アメノソコタチノカミ)です。この二柱の神も独り神で、いつのまにやら姿を隠してしまわれたのです」
      


図の上の∴  は第一図に挙げた、三柱の神であることは上の図のとおり
●三大考の、この図に根の国のやや萌え初めた状態と書いたのは非なり、それは次の図の下に言うのを見て下さい。
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●あの初めて出来た「一つの物」が、浮雲のように虚空に漂えるその中から、葦の芽のように萌え上がったことによって出来上がっていることから、宇麻志葦芽(ウマシアシカガビコ)と御名をいただいたものです。     
(「葦芽(あしかが)とは、葦が生まれ初めたことを言う名で、これはその物の形が葦の芽に似ているからです。ただ萌え上がる様が似ているだけではありません。これによって成り出た神の御名をいただいたのをもって、その大変によく似ていることを知ってください」と師が言われたことは、誠にその通りです。また、この神を始めに成り出たとして語り伝えたのは、私が考えるには、上に挙げた三柱の神も、成り出たとありますが、天地が未だなかった前よりおられるのですから、その成り出た始めは知るよしもないのです。この神には、既に三柱の神がおいでで、その成り始めは十分に見て知っているのは明らかです。だからこの神を「始めて成り出た」と語り伝えられているのです。                                
 このことから思うに、カミとはカビモエからきたのではないでしょうか。そうすれば、この神は成り始めの神であるために、カミとこの神を言うのですが、広く他の神々にも申すことになったのだと思われます。陸奥の国の果てには、今も神をカムイ又はカモエとも言うそうです、これは、古言のたまたま残っているものであります。)
  さて、その萌ええ上がっ
た物は、天となるべき物です。何をもって分かるかと言えば、これによって成り出た神は比古遅神(ヒコジチノカミ)天之底立神(アメノソコタチノカミ)との二柱でありますから、その天之底立と称する御名によって、その物が天となったのは明らかです。それは天之底立とはその物が天となった、その底にお出来になったために、このように御名を給わっているのです。                         
   さて「阿米(あめ)という言葉の謂われは、もと葦芽のようにして萌え上がり、成れるものですから、阿志母延(アシモエ)という言葉の約されたものである」と師が言われたのは誠にそのとおりです。さてその阿米(あめ)は(第五図に著すように)後に地と切り離れて、今見える「日」がやがてこれです。それは漢国でも、古く天というのは即「日」のことだと見えますので、阿米(あめ)に天の字を当てたのはよくあたっているのです。そうですから、早くから、天ッ日、やがて天となることの、本の意義を失って、虚空を阿米8あめ)と心得違いをしたのです。万葉集にも「久方の、天ゆく月を云々」。また「天原(あまのはら)、振りさけ見れば、度日に陰も隠しろい照月の、光も見えず」などと詠まれるのは誤りです。                                               (なぜなら、これらの歌は虚空を天と詠まれましたので、古の意義と違うためです。このような間違いは多いのです。殊に天の原とは天上(あめ)にて、その御国のことをいうときにのみ言う言葉であります。師の翁が詳しく述べられたように)

  同じ万葉集の歌であっても、「三空往く、月読壮士(ツキヨミノオトコ)」と詠むなどは、古の意義にかなって正しいのです。
(ただし、漢国(もろこし)においても、右に言ったことと同じく、天とはやがて「日」のことであるのを、だんだんに心得違いをして、虚空と天とを一つに混じらせて来たのだと思われますのに、代々に一人もこのことに気づく者がなかったのは、いかなることでしょうか。それは『鬼神新論』に具体的に論じてあります。倭、(もろこし=中国)に同じことの、同じ誤りがあることを。)
  なお、天のことは、第十図の下に言ってあるのをご覧下さい。
 ●ある人が質問しました。
「天の質はどのようなものですか」答えて、                      「清み明るくして、たとえば、水晶などのような質と考えられます。それは第六図の下に挙げた古伝に、「微となすべきこと」とあります。なお、そこで述べますのを見て下さい」
(「三大考」に、天ッ日の質は火の精きものである、というのははなはだしい間違いであります)
      

        





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